【年間ベスト】2015年「 極私的」年間ベスト・アルバム _『リバイバル以後のいいとこ取りハイブリッド音楽としてのR&B』編
最もハイブリッドで適応性のあるフォーマットとしてのR&B
音楽のフォーマットとしてのR&Bの援用はまだまだ続いたのが2015年でした。ダンス/ベース・ミュージックとの合流を踏まえ多くの新しいR&Bが登場したイギリスだけでなく、アメリカでもいわゆるメインストリームとは異なる潮流のR&Bはメインストリームを侵食しながらポジションを築いてきたとも言えます。
僕が考えるこのR&Bというフォーマットの近年の勝因は二つ。いい加減な仮説ですが触れてみます。
ひとつは音楽制作におけるソフトウェアの進化と低価格化、およびリリース形態の民主化の急激な進歩による「バンド」という形式の「運営効率」の悪さが際立ってしまったことによるソロ・アクトの増加と、ソロと「R&B」というフォーマット相性の良さが合致したということ。
ふたつ目は、この10年の音楽的な果実(ベース・ミュージックからバロック・ポップ的意匠等々)を最もハイブリッドに吸収し、アウトプットしてきたフォーマットがR&Bだったということ。
この二つが世界的にR&Bがポップ・ミュージックの舞台からロック・バンドを追いやってきたことと関係している気がします。ただサウンドとしてのR&Bはその多様性の拡張と進化を遂げているにも関わらず、(イギリスに比べて特に)アメリカのR&Bは相変わらず「マッチョな男らしさ」と「ナルシスティックな官能」だけをダラダラと歌っておいて、更新感がないのも事実です。
以上のことを踏まえ、ここではサウンドとしてのR&Bの折衷性を象徴する1枚とR&Bが「何を歌うか」を米メインストリームから更新した1枚を紹介します。
・Miguel 『Wildheart」
ミゲルはR&Bが未だ変わらず引きずっている「マッチョな男らしさ」へ抗ってみせている。メインストリームのR&Bの舞台ではジェレマイアやらトレイ・ソングズたちがウンザリするほどひたすらセックスと愛、ほとばしる汗について歌っている。このミゲルもテーマは同じだが、アングルが違う。前者がひたすら男が快楽に浸ることだけを歌っているとしたら、ミゲルのそれはパートナーとの交歓についてフォーカスしている。これは”インディーR&B/ オルタナティヴR&B”においてザ・ウィークエンドがひたすら病んだナルシシズムを撒き散らしているのとも決定的に違う。
加えてそのサウンド。リリックの官能性を彩るように全体にシルキーとでもいうべき音像に仕上がっているが、そのケバケバしいほどのサイケデリア、ファンク的なノリ、懐古的でありながら同時にモダンなサウンドがあらゆるジャンルを飲み込んでいくその様はファレル・ウィリアムスが率いた最盛期のN.E.R.Dと重なる部分があるし、それらの更新性こそがミゲルがプリンスとよく比較され「ネオR&B」なる呼称が与えられる由縁なのかもしれない。セルフ・プロデュースの裏方としては、ジェシー・ウエアやマルーン5、リン・ウィーバーでも有名なベニー・ブランコやカシミア・キャットがミゲルのあらゆるジャンルを横断していくサポーターを的確に努めている。
ライブ・パフォーマンスを観ると公言している通りフレディ・マーキュリーやジェームス・ブラウンといったレジェンドたちの影響も垣間見えるが、過去の偉人の力を借りながらミゲルはソウル/R&Bを前に押し進めようとしているのかもしれない。そこにおいては性や官能はマッチョな「男らしさ」ではなく「パートナーとの交歓される想い・喜び」を祝福するものなのだとでも言うように。
(#それにしてもこのジャケット、なんとかならなかったのだろうか・・・笑)
・Unknown Mortal Orchestra『Multi Love」
2015年はベッドルーム・サイケデリアから這い出てきたアクトが目立った年でもあった。ご存知のテーム・インパラ、トロ・イ・モア、そしてアンノウン・モータル・オーケストラ(以下、UMO)。テーム・インパラの評価は正直インフレし過ぎていると思うが、その「いいとこ取り」感とR&Bへの接近による「分かりやすさ」が鍵だったのかもしれない。ただテームに比べて評価の声が少ない後者2組こそ自分たちの音楽を作ったし、質的にも軍配が上がるというのが僕の印象だ。
本作『Multi Love』は中心人物ルーベン・ウィルソンのルーツでもある60年代のサイケの気配を残しながらも彼自身が影響を強く受けているR&Bへの接近だけでなく、ファンクそしてディスコを横断しており非常に折衷的だ。そして最終的にはコンパクトに、そしてキャッチーにまとめることに成功している。特に超絶キャッチーなベース・ラインを持つ「Can’t Keep Checking My Phone」は1年の中でも屈指の名曲と言っていい。
根っからの機材オタクでもあるルーベンが多くのアナログ機材を駆使して作った音像は、音遊びにはストイックであっても音楽シーンのトレンドに目配せしている様子はあまり感じられない。ルーベンはミュージシャン一家でもあり、レコーディングには父や弟も参加しているリラックスしたムードも漂う作品ながら、テームの存在もありそのサウンドが図らずも時代のタイミングにハマッたということかもしれない。時の風化により耐えうるのはテームよりこのUMO、そんな予感を与えた良作だった。