mr.novemberのブログ

暇と退屈、そして音楽の楽しみ方。

【Live Report】Hostess Club Weekender _ Day2(@Feb 25, 2014)

吟遊詩人と美女4人、そしてザ・ナショナル軍団

前回はやや低体温気味に初日のレポートをお届けした<Hostess Club Weekender>。今回は2日目のレポートを試みます。個人的な好みとしては圧倒的にこの<2日目>に集まっていました。まぁアカウント名の由来となったバンドが大トリの日ですからね、テンション上がらない訳はないでしょう。

では早速1組目から振り返ります。

■Buke and Gaze:
”大(中?)箱で鳴るウィアードな箱庭ポップス”

The Nationalのアーロン&ブライス・デスナーの双子兄弟のレーベル<Brassland>に所属する男女デュオ、ビューク・アンド・ゲイスからスタート。妙な楽器を使ったストレンジ・ポップスを奏でる二人はまるでリビングでガチャガチャと好き勝手楽しんでるような終始リラックスした雰囲気。実際はどうだか知らないがブルックリンとかグリーンポイント辺りにはこういうバンドが沢山居て日夜色んな音楽を作り出しているんだろうな〜という気がしてくる。単独での来日は有り得ないし、してもO-Nestなアーティストをこの規模のハコと音響でゆっくり堪能し、バンド側も大バコの経験が出来つつ、フェスほど思いっきりアウェーにならないという絶妙な環境がこのイベントの良い所と改めて思う次第でございます。

■King Krule:
”10年代のブコウスキー meets Hiphop, Funk and Soul”

音楽とは自分とは全く違ったところから出てきた。にも関わらず凄く抽象的なレイヤーで人生の捉え方が似ているアーティスト。音の特徴に関わらず僕はそういうアーティストに惹かれる。このキング・クルール(読み方これで正しいの?)は正にそんなアーティストだ。どう読んでもチャールズ・ブコウスキーに思えてくるその言葉は信頼せずにはいられない。猛烈にアクセントの効いた歌というかフローとジャジーで小気味良い音を鳴らすギター。尻上がりに良くなっていく演奏は会場を持っていくというよりはポカンと置いてきぼりにするくらい良かった。2日間最大のポジティブ・サプライズ。ここまで良いとは。

■Youth Lagoon:
”ベッドルームサイケを演るボブ・ディラン

同じエントリ内の表現の使い回しで恐縮ですが、「来日してもO-Nestなアーティストをこの規模のハコと音響でゆっくり堪能出来て、バンド側も大バコの経験をしつつ、フェスほど思いっきりアウェーにならないという絶妙な環境」がハマったユース・ラグーン。ザ・ナショナルがキュレートしたイギリスでの<ATPで観た時も良かったがこの日もとっても良かったです(出演は実は2回目なのね)。昨年出た新作も良かったしね。


■Warpaint:
”ルックスは満点。でも判断保留”

 完璧に格好いいし、何と言っても4人揃ったときの絵面が様になる、様になる。正に一皮剥けたと言って良い趣き。当日の14時頃に成田に着いてそのまま新木場直行でライブ、そして翌日には移動というトンデモないスケジュールをモノともせず達者にステージをこなしたのも実にプロフェッショナル。ただ何と言うんだろうな〜、新作もまだ消化不良なせいもあるのかもしれないけど、今目の前にあるものが本当に素晴らしいと自分が感じているのかよく分からない不思議な感覚が残りました。これはいいのか?いいのんか?結論、分かりません(笑)。

 

■The National:
”「スタジアム・バンド以後の世界」への期待”

そしていよいよ、ザ・ナショナーーール!うぉーーーー!!
と勢いよく行きたいところだったんですが、ライブと全然関係ない話をしよ(笑)。
だって自分のブログだし。

簡単に言ってしまうとバンドは今、自分たちが置かれているシチュエーションにイラついているのでは?っていう話。勿論ライブ自体が不穏な雰囲気だったとかそういうわけでない。むしろ最高にエキサイティング&チアフルだった。

マットさんはホロ酔いでステージに登場し、終始ハイテンションで先日の来日公演を行ったPhoenixのトーマよろしく会場を暴れ回っていた。オーディエンスもそれに応えた。アンコールでは会場から手拍子に留まらず、足踏みまで鳴らされるほどの歓待を受けていた。
それでもバンドの無意識の中では、想像以上に大きくなったバンドの受け止められ方と自分たちがやっていることの微妙なズレみたいなものを感じ始めているのでは?と僕は感じている。何か特定の挙動からそれを感じたというよりは雰囲気として何となくそう感じただけなんだが(笑)。

ザ・ナショナルが描いてきたのはもがき、苦悩し、不安になり、過ちを犯し、後悔し、でも変われない人たち。つまり普通の人たちのことだ。欧米での彼らの評価はサウンドそれ自体よりも、言葉への評価が高い。それは僕らが日本ではあまり感じ取れない部分だが、彼らの言葉はとても深くアメリカを捉えた。

 

勿論、彼らは何もアメリカにだけ歌っているわけではない。だが言葉の壁もあれば、有名なバンドというだけで聴く人もライブに足を運ぶ人もいる。文字通りこの4年間で一気にスタジアム・クラスになったこのバンドにとって、ファンの中でのそうした人の構成比は急激に増したはずだ。それは良い悪いではなく、単なる一つのフェーズだ。

 

バンド自身がこの変化をポジティブに捉えてるかネガティブに捉えているかは定かじゃないが、「変化」を感じていることは間違いないと思う。これまで2度彼らにインタビューをしたことがあるが、この手の話を聞くと多くのアーティストがそうであるようにマット・バーニンガーも「気にしていない。考えていない。自分たちのやりたいことだけやる」と答えていた。事実、だ『Trouble Will Find Me』はバンド史上、一番世の中に目配せせずに作ったアルバムという気がしている。それ故か虚勢を張った感じが全くないレコードになった。


けれどもし巨大化したバンドとしてオーディエンスと対峙し続けることで何かしらのフラストレーションをバンドが感じ始めているならば、次はそれを無視したレコードではなく、逆にそれを意識したレコードを作って欲しい。僕が言うフラストレーションとは決して悪い意味ではなく、場合によっては新しい何かが生まれる契機にもなると思っているから。

 

そして忘れてはいけないのは「ビッグになった後」を試せるバンドなんて滅多にいないということ。彼らは既にそのステージにある。

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